2016年5月29日(日)

 
キリストの聖体  (ルカ9・11b-17)


 ふくらんで
  日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう……」しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。


  人間は、車という〝箱物″に入れられると別人格になるらしい。密室の外の世界をしなやかに評価する会話は、あまり聞かれません。自分の足でとぼとぼと巡礼を続けながら、行き交う車の中の人間の表情を眺めた時も、確かに一様に無表情か〝警戒モード″が漂っていました。

  ある日、車中の人となって軽快に走っていると、行く手を赤信号が阻みました。押しボタン式の横断歩道なのですが、人がいる様子もありません。対向車が一台、同行車も一台きりです。車中の人はさっそく、外の世界をのろい始めました。「またどこかの〝ワルガキ″がいたずらしたな」「このクソ忙しいのに」「なんでこんな車のいない所に信号なんか付けるんだよ」

  すると、どこからともなく、小学二、三年とおぼしきちっちゃな女の子が、右手を真っすぐに挙げてスタスタと横断歩道を渡り始めました。満面に笑みをたたえて左右を見やり、軽やかに向かいの道へ身を運んでいきました。

  そして渡り終えた彼女は、身を翻してこちらを向き、深々と頭を下げたのです。さらに止まっていたもう一台の対向車に対しても深々と礼をし、軽やかな足取りでどこへともなく消えていきました。途端にさわやかな風が吹き抜けていきました。

  車中の人は、信号はすでに青に変わっているのに、しばしぼうぜんと、そのさわやかな余韻に浸っていました。対向車もまた同様の様子です。彼女がまいてくれた小さな福音が、車中に充(み)ち満ちていました。

  たどり着くとさっそく、集まった五十数人の方々にこのことを話しました。彼らもまたさわやかにこの話を受け取ってくれました。彼らの中の幾人かが、まただれかに語るに違いありません。そうしたら、この話はまた膨らんでいくことでしょう。

  このようにして、きょうのパンの奇跡の話も膨らんでいったのではないでしょうか。車中にこもる人のように、弟子たちも自分の世界の不満を漏らしました。「五つのパンと二匹の魚があるにはあるが、みんなに配るのはもったいないし、第一、この人数ではお手上げだ」と。

  しかし、そういう人間の打算としぼみを貫いてイエスさまを囲んだとき、よく奇跡が起こりました。何かさわやかな充満が生まれるのでした。それはもちろん、腹の満たしだけではありませんでした。腹を満たして余りあるものを彼らは体験したのに違いないのです。

  こうして彼らは、イエスさまの救いの基本動作を知るのです。「パンを取り、賛美の祈りを唱え、裂いて配る」という動作です。

  こんな動作が、今も世界のあちこちで繰り返されています。つい先日も、あの横断歩道で。