司祭紹介

主任司祭
橋本 勲
(Isao Hasimoto)
2015年4月19日(日)着任

中町教会の歴史

聖堂 中町教会の創立者である島内要助神父は、殉教の歴史をもつこの地に、日本人のための教会を建てようと志し、苦労の末に明治22年の暮、キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡である現在地を求めて教会設立の仕事に取りかかった。

教会はフランスのパピノー神父の設計で明治24年8月より建設に着手、30年(1897年)9月8日聖母マリア生誕の祝日に献堂式が挙行された。
教会建設にあたっては、フランスのある婦人の当時の金額で8万フランにものぼる寄付や、多数の恩人の協力があった。

昭和20年(1945年)8月9日の原爆投下により、外壁と尖塔を残して焼失したが、昭和26年10月、その外壁と尖塔をそのまま生かして再建され現在に至っている。
そのため、貴重な被爆遺構として長崎市の指定を受けている。(教会の門の側に銘版が設置されている)

この教会は、聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会であり、毎年9月の第4日曜日に殉教者記念祭が行われます。詳しくはこちらまでお問い合わせください。
1889(明治22)年 教会設立を開始。
1891(明治24)年8月 教会建設着工。
1897(明治30)年9月8日 献堂式を挙行。
1945(昭和20)年8月9日 原爆投下。
教会は外壁と尖塔を残して焼失。
1951(昭和26)年10月 教会再建。

構内の紹介

構内地図

【司祭館・信徒会館】
司祭館,信徒会館
教会に御用の方は、司祭館内に受付がございますので、こちらをお尋ねください。
【聖堂正面】
聖堂正面
貴重な被爆遺構でもある純白の聖堂の正面です。
尖塔の鐘は毎日正午と18:00に鳴らしています。
【聖堂内】
聖堂内
美しいステンドグラスに囲まれた聖堂の祭壇中央
には、「ほほえみの十字架」が安置されています。

聖堂内
長椅子は92脚あり、およそ500人程が着席できます。
【デジタルパイプオルガン】
デジタルパイプオルガン
聖堂のオルガンには、デジタルパイプオルガン(ALLEN ADC4300A-DK)を設置しております。
【車椅子用スロープ】
車椅子用スロープ
車椅子の方がそのまま聖堂内へ入ることができるように、中庭にスロープを設置しております。
【日本26聖人3少年像】
日本26聖人3少年像
中町小教区内にある聖地西坂の丘では、1597年、キリストの愛を証しするため26人が殉教したが、その後250年の間に、数多くの殉教者たちが尊い生命を神に捧げた。
これらの殉教者を偲び、その信仰の遺産を次代に引き継ぐために、日本26聖人の中の3少年殉教者(ルビドコ茨木、アントニオ、トマス小崎)を選び、1986年9月この像が建立された。
【聖トマス西と15殉教者の記念庭園】

聖トマス西と15殉教者は、ドミニコ会司祭、修道士、修道女、彼らを助けた信徒たちで、キリシタン迫害の厳しかった1633年から1637年に、長崎西坂の丘で殉教した人々である。日本人9名、スペイン人4名、イタリア人・フランス人・フィリピン人各1名で、特にフィリピン人の聖ロレンソ・ルイスは、フィリピンで最初の聖人の栄誉を担うことになった。1987年10月18日ローマで列聖された。
この庭園は、信徒発見150周年を記念に造られ、2015年3月16日に祝福された。毎年9月第4日曜日には、殉教者たちのための記念ミサが捧げられている。
【大村藩蔵屋敷跡の碑】
大村藩蔵屋敷跡の碑
中町教会はかつてのキリシタン大名、大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡に建っており、それを表した碑です。
【大村藩蔵屋敷の石垣】
大村藩蔵屋敷跡の石垣
中町教会が建てられる前にあった、大村藩蔵屋敷の遺構である石垣がそのまま残っています。
【お告げの聖母保育園】
お告げの聖母保育園
敷地内のお告げの聖母保育園です。
【お告げのマリア修道会】
聖パウロ女子修道院
敷地内に2013年6月29日にマルチレス中町(信心用具販売店)がオープンしました。

Top

©カトリック中町教会